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魯山人納豆というものがあって、一時期うちでにわかに流行ってた。
普通の納豆を400何回だかかき混ぜて、
普通にたれとからしとねぎ入れて食べる、ということらしい。
深めの器に納豆を入れて、ただ何となく混ぜていると何回混ぜたか判らなくなる。
それではレシピとしてあまりにいい加減だ。
そこで10回をワンセットとして、約40セットをカウントしながら混ぜる。
ただ混ぜると言っても。
工程の半分くらいから、納豆がだんだん崩れてくる。
はしや器の壁にくっついてきて、混ぜてるんだか混ざっていないんだか判らなくなってくる。
指定の回数混ぜた頃にはもうなにがなんだかって感じになる。
納豆の糸に含まれるポリグルタミン酸が、混ぜることにより結合が切れてグルタミン酸になる。
グルタミン酸はうまみ成分なので、おいしくなる、という理屈だと。
実際、それなりにうまい。
うまみうんぬんはしっかりと判らないが、そういうことであれば、うまみ調味料入れるよりいいかも。
しかしながら納豆食べてる感じはしない。
大粒納豆の大豆のふっくらした豆をかむ充実感とか、
小粒納豆のご飯と豆の粒感の絶妙のコラボレーションとか、そういうのを楽しむ余裕はない。
強烈なかき混ぜに耐え、大豆としてのアイデンティティを保つのに精一杯、とそういう味。
糸もほとんど引かない。結合切れてるんだからあたりまえか。
納豆の納豆らしい特徴は、かき混ぜパワーの前に屈してしまうのだ。
特徴のある食材をどうしてわざわざ正体なくして食べるんだ?と考えていたら思い出した。
この食べ方を開発した北大路魯山人は、納豆は苦手だった、という話があるんだ。
つまり、苦手であるからそのままでは食べられず、
特徴を消し、別物にする方向に走ったと。
そういうことか。
そうまでして食べるかいな。
食通の辞書には食べないという言葉はないらしい。
検索してみたら、こんなの見つけた。面白い。
実録:KOKIのざっぱ汁 http://kokis.client.jp/